コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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どうにか単純形状メカからの脱却を図りたいが、じゃあどうやって、メカの形を複雑にさせるかをつらつらと考えたが、やはり、自分は質感やり面で細かくディテールを詰めて複雑に見せるよりも、形自体で複雑に見せたいという気持ちが強いらしい。
ただ、これだと今までの二の舞になりかねない。
だって、今までだってこれを目標に描いてきたから。
正確には少し違うかもしれないが、今までは「まったく新しい形が描きたい!」をスローガンにしていた。その過程で、いろいろなロボを考えてきたが、それでも単純な形状で落ち着くことが多かった。
整合性に目をつぶって、形をいびつにさせて情報量を増やす方法も考えたが、それだと今までのやり方を真っ向否定してしまうし何よりも、自分の感性の中で納得できない。虫ずが走る!
考えたところで何の糸口も見いだせるわけもなく…とにかく今までの考え方+αのエッセンスを加えて、複雑な形状を描けるようになるのがベストだが…
こんなどうしようもないことを考えてしまうのは、やはり自分自身の中で創作活動に関する確固たる指針がほしいからかもしれない。それを基準に描いていけばはずれなし、ってなったら量産し放題だし。(ただそうなった時点で「創作」といえるかどうかは分からないけれども)
どうにか、この議題?に自分自身の答えを見つけたい。
※一応創作的な話題だと思う。
要は「いいなぁ」と思った作品を見てから自分なりの解釈をして反映させるのは、やっぱり時間が掛かるんじゃないかと思った。ふと某イラストコミュニケーションサービスサイトの絵を閲覧していて頭に浮かんだ。
トレースとは違うが、そのいいなぁと思った作品を見た直後に衝動的に組み立てても、なにかしら類似点が多く、パクリに近い状態に仕上がってしまうと思う。
やはり感覚的であれ、自分がその作品に惹かれた部分を自分なりにかみ砕いてかみ砕いて理解して、そしてものにするのがオリジナルといえるような独自の創作活動には重要なことではないかと思う。
勢いで描いても、自分の作風とは必ずしも親和性があるとは限らないから、端から見れば歪みというか「書き慣れていない」オーラが漂うときもあると思う。だからこそそういった違和感を潰すためにも「○○がいい」と少しは具体的に言えるぐらい自分の中で理解する必要があると思う。
なんだかんだでやっぱり、描いて描いてかみ砕いて砕いて飲み込んで、自分の作風に馴染ませることがベストなんじゃないかと思う。
もっと外から食い物を取ってくる必要があるなぁ…
何事も日常から延長して事を成していることをぼんやりと考えた。
唐突になにかが出来るようになるわけでもなく、突発的に変化することはあまりないと思う。何事も日常からの延長なんだろうなぁ。
何事も日進月歩で匍匐前進であれ、前に向かってガンガンズンズングイグイ踏み出す姿勢が大切なんだろうなぁ…
抽象的な喩えばかりだが、何が言いたいのかというと、何事も地道に歩んでいくしかないということを再認識した次第。それだけ
唐突になにかが出来るようになるわけでもなく、突発的に変化することはあまりないと思う。何事も日常からの延長なんだろうなぁ。
何事も日進月歩で匍匐前進であれ、前に向かってガンガンズンズングイグイ踏み出す姿勢が大切なんだろうなぁ…
抽象的な喩えばかりだが、何が言いたいのかというと、何事も地道に歩んでいくしかないということを再認識した次第。それだけ
描いた物全てとはいわないが、描いた絵はなんというか、似た雰囲気に固まってしまう。
これをどうにかしたい。手癖なのかもしれないが、このままじゃイカンと思う。
「この作風が自分の個性」とか勝手に開き直りたくない。下手なのが個性だ!?それは思考停止ならぬ向上停止だと思う。
そんなこんなで今日も何かを描く。
これをどうにかしたい。手癖なのかもしれないが、このままじゃイカンと思う。
「この作風が自分の個性」とか勝手に開き直りたくない。下手なのが個性だ!?それは思考停止ならぬ向上停止だと思う。
そんなこんなで今日も何かを描く。