コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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最近、創作意欲がガス欠し、どうしようもないことになった。やる気が出ないのはしょうがない。
しかし、ここで無理をせず何かしら創作意欲が湧くのを待つか、それとも足掻いて何かしら糸口をつかむ方法を探るのとどちらがいいのだろう。
足掻くとなると、何か反応があって、結果がでないと意味がない。何をやっても意欲が湧かない。そんなときは返って苦痛になる。
待つとなると、逆に「いつ」意欲が戻ってくるか不明瞭である。いつまでたっても意欲が湧かないと返って不安になる。
ぶっちゃけ、なるようにしかならない。足掻くことで何かを掴めるかもしれないし、待ってて自然と何か描けるようになるのかもしれない。
自分の場合は、少し間をおいて、再び手を動かしながら好きな音楽を聴いた。すると気分がノってきて、何とか意欲が復活。まさにノリと勢い。だけれども侮るなかれ。
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とりあえずコンセプトは「紫が似合うロボ」として描いていた。
だが、そのことを忘れてひたすらロボの形状に力を注いでいった。
上のロボの足があまり納得できなかったので、色々試行中だ。アイデア的ななにかが湧いてきたのでそれを組み合わせることに挑戦中。
そうして頭を悩ませているとき、ふと「自分の感性に自信が持てていないだろうなぁ」と思った。少なくとも、勢いに任せて描いた一発描きの絵なんて表に出せるわけがない。そう思うのは確かだ。
一回描いて粗を見直し、さらに練り直すことが前提になっている事に気がついた。(だからといって直しが多いことは決していいことではないと思うけれども)
中途半端にデザインをかじったためか、勢いで描く感性的なやり方よりも、ひたすら熟考して一つの形にまとめる手法が身に染みてしまったらしい。でもそのやり方でも違和感というか、空回り感が否めない。
自分なりの描き方を見つけたいなぁ…‥
考えながら描くことは果たして創作活動において有効だろうか。
当然有効だろう。
そりゃ考えないと始まらないが、考え込むことはあまり良くないのかもしれないと思う。
考え込んでしまうと、願望やこだわりに没頭してしまうというか、考えた理想だけを追求してしまうきらいが自分にある。
ただ、創作することにおいて、頭の中の考えだけが全てではない。当たり前だ。
「棚からぼた餅」で自分が考えていたもの以上にイメージに「より近い」発想が転がり込んでくることもある。
感性とは理論でねじ伏せることは到底できないことだと思う。だが、考え込みすぎるとそんなことさえ忘れてしまうので気をつけないといけない。
これは自戒の文章だなぁ…
当然有効だろう。
そりゃ考えないと始まらないが、考え込むことはあまり良くないのかもしれないと思う。
考え込んでしまうと、願望やこだわりに没頭してしまうというか、考えた理想だけを追求してしまうきらいが自分にある。
ただ、創作することにおいて、頭の中の考えだけが全てではない。当たり前だ。
「棚からぼた餅」で自分が考えていたもの以上にイメージに「より近い」発想が転がり込んでくることもある。
感性とは理論でねじ伏せることは到底できないことだと思う。だが、考え込みすぎるとそんなことさえ忘れてしまうので気をつけないといけない。
これは自戒の文章だなぁ…
最近ネタがなくなりどん詰まり状態なので、過去の未完成のアイデアを引っ張り出してなんとか絵を描いているが、これは果たして「創作」といえるのだろうかと疑問に思う。
過去から発掘したアイデアを今再び独自に考える。このことは悪いことではないと思う。
だが、これも見方によれば「過去の発想」にすがっているとも言えなくもない。
「創作活動」において自分が重要視しているのは「発想」だ。この創作物の根底にある「視覚にない」要素が一番大切だと思う。最終的に形が被ってしまうことがあっても、この「発想」を独自につくっていたのなら胸を張ってアウトプットできると思う。「パクリ」じゃないから。
そういう意味では自分が言う「発想」とは、その創作物の「アイデンティティ」みたいなものなのかもしれない。
話がそれたが、この発想を「過去」から拝借している現状はなんというか「攻め」の創作活動じゃない気がする。
自分なりに新しい発想を生み出すということは、独自に新しく開拓していくことだと思う。だから、無駄に空回りしたり苦労が絶えない。けれどもそれが自分の中の発想の幅を広げていくことになるのなら、決して無駄にはならないと思う。
まぁ根本の原因は、その発想(ネタ)を完成させずに次に放り投げている自分の「飽きっぽさ」が諸悪の根源なんですが…
過去から発掘したアイデアを今再び独自に考える。このことは悪いことではないと思う。
だが、これも見方によれば「過去の発想」にすがっているとも言えなくもない。
「創作活動」において自分が重要視しているのは「発想」だ。この創作物の根底にある「視覚にない」要素が一番大切だと思う。最終的に形が被ってしまうことがあっても、この「発想」を独自につくっていたのなら胸を張ってアウトプットできると思う。「パクリ」じゃないから。
そういう意味では自分が言う「発想」とは、その創作物の「アイデンティティ」みたいなものなのかもしれない。
話がそれたが、この発想を「過去」から拝借している現状はなんというか「攻め」の創作活動じゃない気がする。
自分なりに新しい発想を生み出すということは、独自に新しく開拓していくことだと思う。だから、無駄に空回りしたり苦労が絶えない。けれどもそれが自分の中の発想の幅を広げていくことになるのなら、決して無駄にはならないと思う。
まぁ根本の原因は、その発想(ネタ)を完成させずに次に放り投げている自分の「飽きっぽさ」が諸悪の根源なんですが…