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コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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前回の日記に関連して、思ったこと。
前回の日記は中々のネガティベーション溢れる文章だったが、さすがに普段はそこまで考えて行動できない。
ただ、日頃の自分の行動を後々鑑みてみるに「こんな考えが根底にあるのかもなぁ」と思ったのを、日記に記した。

ただ、これ自体も思いこみの一種なのかもしれないなと思った次第。
何か禅問答みたい。
どこまで思いこみかは分からないが、だからといって第三者から自分がまったく思いも寄らない自分の性質を指摘されても、まったく理解というか実感ができない。(指摘されたことを自分自身で意識するきっかけになるかもしれないけれども)
そういった意味では、自分の分かる範囲で自分の性質を見るのも主観が混じるかもしれないが、必ずしも悪いことではないような気もする。

結局何が言いたいかというと、前回の日記のようなことを念頭に置きながら日常を行動するなど到底不可能であるということと、そこまでネガティブじゃないときもあるということだ。


…これ何の日記だろう。
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自分は、自分自身の行動に価値があるのか懐疑的だ。
懐疑的というより、意義を見いだせていないというべきか。
行動した結果は当然返ってくるものだが、結果がどうあれ、良くても自分の行動に対して価値とか、自分自身の自信に直結することがなかなか無い。
そもそも、自分の判断基準が今まで「いい」「悪い」でしか判定していなかった。少なくとも社会的な規範とかモラルを守ることは「いい」ことなので、それに対する行動の価値はあると思っているし、それを守ろうと行動する。
だが、その判断基準は「他」によるもので、自分自身の「個」の行いに対しては、決して当てはまるものでは無い。
だからというべきか、自分自身の行動に意味があるのか何をもって判断するべきかいまいち掴み切れていない。最近、「やりたいこと」だとか「目標に向かって行動すること」を判断基準にするべきなのかもしれないと、徐々に実感を得てきてはいる。
それがここ一番の最近の悩みどころなのだが、果たして「自分のやりたいこと」に価値があるのか?ということである。なんというか、「他」の判断基準に依存してしまっていたせいか、他の益がないと自分の行動に価値はないのではないか、とか「個」の基準と「他」の基準が判別し切れていない感じ。詰まるところ、自分の意志を主張することに対して、腹を括れていない部分がある。
ただ、いい加減、自分ももどかしいというか、煮え切らない態度というか、そういったぼんやりとした基準じゃいけないと思い、何とかしたいと思っているが…
今まで外での人と接するときは、きちんと「他」の判断基準を以て行動できるのだが、自分の行動にいまいち価値を感じていないので、自分個人のことに対してはのんべんだらり、節度もなく、目標もなく、ぼんやりとしてしまう。
やりたいことがないわけではないが、それに価値があるのか。それを以て行動していいのか、行動したいのかいまいち分かっていない。
その「個」に対する基準の取っかかりだけでも、今年は体感したいなぁと思う。まずは自己主張することを努力したい。


ちなみに、絵を描くことだけに関しては、価値もクソもなく、「好きだから」でダラダラと続いている。
よく考えると絵を描くことに対して価値を感じているのだろうと思うが、おもしろいからだけなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。よく分からないが、個に対して自発的に行動することが極端に少ない自分としては、このことを大切に思わないといけないのかもしれない。
何も考えず手癖で形を作っていくと、形状に関していえば自分の嗜好に沿った形にそのままなる。
つまり、自分の考えを変えていかない限り、嗜好に寄った、似たり寄ったりな形ばかりになってしまうと思う。
だからこそ自分自身で、描きやすい・好み云々以前に進んで描かないような形を題材に掲げて挑戦していくことも必要なんじゃないかと思う。
「挑戦する」とか大げさに考える必要はなく、常日頃からの手癖で描いたものから「なにか」を見つけてそれを描く上で意識するとかすれば、発展していっていると思う。
「なにか」を見つけようとする意欲が一番大切なんじゃないかと思う今日この頃。

※あくまで個人のオリメカの形状を考える際に思ったことなので、塗り、デザインなどが上記に当てはまる限りではない。

…そう思うと、いつも同じような内容を繰り返し書き込む自分は、果たして発展していっているのだろうか…
最強だと思う、物事に打ち込む姿勢は松下幸之助さんが言った「困っても困らない」という姿勢だと思う。
要はパニクってびびったりすると本来の能力を発揮できないから困難な状況でも萎縮せず「困っていない」状態で取り組むべき、的な発言だったと思う。

不安に駆られる状況というと、分からないことだと思う。
何がどうなっているのか不明瞭で判断できないから色々想像してしまって不安に駆られる。
じゃあ、逆にきちんと状況を把握すれば、何がどうなっているのかが分かるので、不安は多少軽減されると思う。
そう考えると、上記の困っても困らないという姿勢は、冷静な判断力が必要なんだと思う。あと、すこし楽観的な思考。

同じ事象でも、「大丈夫」と考えるのと「どうしようもない」と考えるのでは、まったく違う見え方になると思う。
…なるたけ前向きな思考ができるようになりたい。

時間があっても、発想がふっと思い浮かぶときとそうじゃないときがある。

思い浮かばないときは大抵「頭が固くなっている」とき。
「頭が固い」ときは、感覚的に何となく分かる気がする。
そしてそんなとき無理矢理描いた絵は、どうしようもなくどうしようもない。
そして時間があるときに限って「頭が固く」何も思い浮かばないという皮肉。

しかし「頭が固いとき」があれば、「頭の柔らかいとき」も必ずある。
そのときはなかなか調子がいい。
頭が固くなっているときと同じく、「頭が柔らかい」状態も何となくだが、分かる。
そのとき目的もなくとりあえず鉛筆握って描いてみれば、それなりに自分の持ち味というか自分の引き出しを掘り出したものが描ける気がする。

そして、その「頭の柔らかい」状態を意識的に持ってこられたらいいなと思うが、これはメンタルの問題なんだろうか?
それとも何か他の要因で頭が柔らかくなっているのだろうか?
意識的に頭を柔らかくできたら最強なのだが、絵の描き方同様、コツのコすら掴めていない。

「頭柔らかタイミング」の研究もしないとなぁ…
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