コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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ふと、自分にとってメカを描くという行為について改めて考えてみた。
(ほぼ)毎日アイデアを出そうと落書きをする。
幼稚園時代、にわとりの絵が偶然うまく描けてほめられたのをきっかけに落書きをするようになったが、よく続けられたなぁと改めて思う。
オリロボの造形に妙にこだわる。
最近、インターネットのIT技術のおかげで見せる機会ができた。しかし、それ以前は、見せもしない、そのくせにメカの形をああでもない、こうでもないと悩む。その行為に費やす時間は決して少なくない。絵に関心のない人が自分の行為を見たら、なんでそんな無駄な時間を費やすのか疑問に思うのかもしれない。
こういった要素を加味し、自分にとってメカを描くという行為とは 「生きがい」 なのかもしれないと現時点で結論づけた。(なんか他人事のような文章だなぁ…)
絵を描くことが当たり前というか何というか、絵を描く行為が自分の日常に浸透しているせいか、生きがいなどと大仰な捉え方をすることは自分の中では釈然としないし、納得しない・できない。(そもそも絵が上達していないから生きがいという捉え方はなおさらしづらいのかもしれない)
なんだかんだで、自分は異常なのかもしれないと思う今日この頃。
異常というか価値観が明らかにずれているんだろうなぁ。ただその実感が湧いてこない。惰性で描いているという認識だったから、生きがいなんてそんな大きい・使命感を帯びたような?そんなでっけぇ要素になっているとは考えられない。
この議題はもっと深く考えていきたい。これが分かると自分自身の創作活動のあり方が少し分かる気がする。
幼稚園時代、にわとりの絵が偶然うまく描けてほめられたのをきっかけに落書きをするようになったが、よく続けられたなぁと改めて思う。
オリロボの造形に妙にこだわる。
最近、インターネットのIT技術のおかげで見せる機会ができた。しかし、それ以前は、見せもしない、そのくせにメカの形をああでもない、こうでもないと悩む。その行為に費やす時間は決して少なくない。絵に関心のない人が自分の行為を見たら、なんでそんな無駄な時間を費やすのか疑問に思うのかもしれない。
こういった要素を加味し、自分にとってメカを描くという行為とは 「生きがい」 なのかもしれないと現時点で結論づけた。(なんか他人事のような文章だなぁ…)
絵を描くことが当たり前というか何というか、絵を描く行為が自分の日常に浸透しているせいか、生きがいなどと大仰な捉え方をすることは自分の中では釈然としないし、納得しない・できない。(そもそも絵が上達していないから生きがいという捉え方はなおさらしづらいのかもしれない)
なんだかんだで、自分は異常なのかもしれないと思う今日この頃。
異常というか価値観が明らかにずれているんだろうなぁ。ただその実感が湧いてこない。惰性で描いているという認識だったから、生きがいなんてそんな大きい・使命感を帯びたような?そんなでっけぇ要素になっているとは考えられない。
この議題はもっと深く考えていきたい。これが分かると自分自身の創作活動のあり方が少し分かる気がする。
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