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コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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既存の創作物を使って、自分なりに手を加えることを二次創作だと自分は認識している。だとするならば、自分は「過去の自分のネタ」を題材にして考えることが多々ある。これも二次創作か?

二次創作の題材といえば版権作品の場合がほとんどだろうが「既存の創作物」という基準で見れば、過去のネタも一次創作物に成り得る…のか?


なんでこんな事を考えているのかといえば、最近ネタが浮かばないからである。だからちょくちょくと過去の未完成ネタを題材としてちょこちょこらくがきをしているのだが、果たしてこの行動が真っ当な創作活動といえるのか?と疑問に思ったからである。

ここで自分のいう「真っ当」とは、自分なりにでも新しいアイデアを形にすることであり、この考えでいくと上記の過去ネタイジリはこれに反する。

そもそも現状ネタがないのは、過去ネタが未完成であることも原因の一因だと思っている。
なぜなら、完成していないから確定していない。いじれるということは、他のアイデアと比較して差別化できない。変更できるから。だからどれもこれもピンぼけして方向性がぼやけてしまっているような感じ。

かといって完成させることがなかなか難しい…
趣味なのでなるべく満足できるまでいじりたい!
何よりも考えることが好きだ!!

といった、好きなこととやりたいことが二律背反的ななにかになってしまっているようなジレンマを感じる。 しかし、区切りを付けなければいけないのは認識しているので、個人的な〆切りを作る必要があるなぁ・・・ 完成の基準をどうつけるかを模索していこうと思う。
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趣味の創作活動に楽しむ以外の「なにか」を持ってくるとおかしくなる気がする。

自分の場合、それは義務感なのだが、持ってきたところで頗る調子が悪い。
むしろ義務感を持たせることで自分を追い詰めていたのかもしれない。

なぜ義務感を持ってこようと思ったのは、最近絵を描いていなかったからであり、他の優先順位に押し流されることなく描けるようになりたかったからだが、むしろ裏目に出てしまった。
焦って逆に描けない。


ところが、寝て覚めてふとぼんやりと鉛筆を握ると、あっさり描けた。
いままで「なにか」を持ってきたおかげで「絵を描くこと」自体に、付加価値を持ってしまっていた。
そんなしがらみなんか考えずに「描きたいものを描けられればいい」程度の気持ちで向き合った方がいいのかもしれない
と、頭でっかちなりに思う。
ここ最近、興味・関心がある事と、そうでない事への作業意欲の差が如実に出てきてどうにかしたい。
義務感とかは少なくとも感じる事柄でも、あまり意欲が湧かない。どうしたものか。

「やる気が出る方法」と検索して色々調べた結果、やる気を起こすためには、行動と結果が伴うことが重要らしい。要は「できる」と思いこむこと、か?
また、それ以外に何らかの報酬があることが重要とも。お金ないし名誉ないし、とにかく「やりがいを感じる」こと、か?

とか何とか書いてあるのを見たが、自分の場合はもっと根本的な何かが不足しているような気がする。
たとえば余った時間で何かできるとき、最近は「余った時間で何かする」という考えすら頭に浮かんでこず、ただボーッとしてしまうことが多々ある。根本的に思考が働かない。
選択肢を選ばない以前に、考えが浮かばない・行動するという思考ができない状況に、ぼんやりとした危機感を抱く今日この頃。これはやる気が出ていないに該当するのだろうか?
最近のネタの枯渇感というかありきたりな発想からの閉塞感から、なぜありきたりになってしまっているのかを考えた。
そして、最近は「ロマン」を追い求めていないと思った。
有り体に言えば、機能よりもギミックや見た目、コンセプトを大切にするような形。
そういった、情動を起こさせるような発想を最近考えていないことに気付いた。
そんなわけで、そういったロマンを追いかけていたであろう、過去のクロッキー帳を久しぶりに覗いてみた。

第一印象は絵が下手であること以上に、白いことだった。
余白が多すぎる!!
当時は精一杯描いたつもりなのかもしれないが、今見るとスカスカでもったいないと思う。
もっと余白に描き込むことを心がけようと思う。

内容はやはり今の自分では思いつかないような形もちらほらあったりなかったり。
やっぱり偏った思考ばかりしていると視野狭窄になりやすいなぁ…
意識しながら気をつけないとイカンなぁ…

※以下駄文

どこかの創作活動における情報交換の内容をピックアップしたサイトで「自分の絵を下手と認識できる方が改善の余地があるからうれしい」といった内容の文章があった。
正直、今の自分にはこの感覚が分からない。
常々、下手であることを痛感するから。
改善の余地がありまくるから。
だから自分にとってはむしろ「今見ても、上手に描けている!」と思えるような絵を描いてみたいという気持ちの方が強い。
また、過去そのような絵を描くことができたのならば、今の自分に描けないはずがない!と励みにもなる。

とはいえ、仮に1つ満足できるようなものを描くことができたとして、それが自信につながるなんてありえないと思う。
なぜならば、上手く描けたのは自分の描くカテゴリの一部に過ぎないから。
その方向性しか上手く描けていないことを表すから。
たとえば、上手くまとめて完成度の高いロボ絵が描けたからといって、人物絵をその完成度の高いロボ絵ほどの内容に仕上げることができるかといえば、必ずしもそうとは限らない。(むしろそうなることなどありえない!)
あくまでも上手く描けたものは、描きたいジャンルの一部煮すぎないことを念頭に置かなければならないと思う。

などと、絵に自信を持ちたい一方で、それを否定する相反した考えが浮かぶ毎日。
前々からそうだが、自分はロボ絵を形にするスピードが極めて遅い。鈍足・牛歩。
この前、一日でどのくらい形にすることができるか試したところ、あまり芳しくない結果となった。

以前、勢いで描いたロボをモチーフに再考して完成させようと思い「元の形があるから1日で何とかなるかも」と思っていたら案の定、完成しなかった。
具体的にいえば、胴体の形ですったもんだで煮詰まって。
突発的に思いついたネタを組み合わせてみようと思い、ああだこうだと試行錯誤している間に方向性が見失ってしまった。

突発的な、突然降ってくるアイデアは一見して新鮮でいい案に見える。
だが、その新ネタを詰め込むか今までの方向性で行くかを全体を見て、より完成度が高くなる方を選択するべきなのだろう。
けれども、実際問題、噛み合うかどうかはともかく試してみたくなってしまう。
これのおかげで方向性を見失い、やる気が削がれて集中できなくなってしまうことが多々ある。

取捨選択を客観的にできるようになりたい。
具体的な対策はないが、客観的に把握するためには、今の自分では「時間をおいて見る」ことしかできない。
結局、これも時間がかかってテンポが崩れてしまう…

なんだかなぁ。
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