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コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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考えがグダっている状態なのでとにかく文章にして吐き出す。
今現在、方向性が見いだせていない状態。
これが俗に言うスランプというヤツか。
素人のくせにというか、文章しか最近ここで開示していないくせに、絵を描いていないくせに何という無駄なスランプ!

ここから本題。
理想と現実というか、描きたい願望と実際描ける物体の狭間で見事にディレンマ抱えている。

自分が描きたい理想(メカ)は、複雑でありながらも情報が統制されて見やすく、情報を持ちながらも描きやすく、形状が奇抜で「これ」とすぐに分かる形、といったもの。
※理想自体が矛盾に富んでいるような気もするが気にしない。

が、実際自分が描くものというのは、単調で簡素でワンパターン。
情報を統制して見やすくするというのは、情報を整える、つまりパターンないし規則性を持たせることだと思っている。
これを度を超えてやってしまうと、単調でつまらなくなる。
描きやすい形にしようとすると、形状も簡素になってしまう。
形状を簡素にしてしまうと、記号化が進んでしまい、結局似たものが多くなる=形が被る=ワンパターン


…やはり今までの方針で、グダリ方向性が定まらないのであれば、やはり今あるものから学んだ方が効率がいいのかもしれない。
とするならば、やはり参考になるものは既存の物体となる。
ではどのように参考にするのか?

見て感じたことを文章にする?
今回は感覚が重要だと考えているので、あまり意味がないと思う。
文字にすることも役には立つと思うが、頭で理解すること以上に実感を得ることの方が、今は大切だと思う。

ではやっぱり、模写ないしトレースか?
マルッと写して何をやりたかったか、表現したかったかを自分なりに体感するにはこれがいいのかなぁ…

あまり乗り気になれないが、この方法が一番体感しやすそうなので、これをやってみようと思う。
やってあまり感触が掴めないなら、また別の方法をかんがえればいいか。

トレーサーに、俺はなる!!
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何となく書く気力があるので書く。

客観的な視点を得るには、主観的でなければいいわけで。
主観的な状況というのは、一つのことをひたすらやっている最中であるわけで。
単純に考えると、ひたすら一つのことをやっている最中でなければ客観的だと思う。
だとするならば、物理的な意味で「やらない」ことが一番手っ取り早い。
気分転換とか、時間を空けるとか、考えることを中断させることが重要だと思う。
コンピュータでいうところの、再起動といった具合か。

ただ、そもそも「客観的にならないと」と思うこと自体が多少客観的であると言えると思う。
本当に主観的視野に陥っていると「主観的であること」さえ頭から抜け落ちてしまうから。
もしかすると客観的に考えるには「主観的になっている」と認識することが一番肝心なのかもしれない。

やっぱり自分なりの答えが出せない。
「答えを出すこと」自体が主観的だと思えてしまうから。
また、主観的であるのは決して悪いことではないし、けれども冷静に判断するためには客観的な視野が必要だと思うし…
自分の中で主観と客観の意義を、主観的にでもいいから考えないといけないような気がする。


とにかくまず第一に、このややっこしい思考ルーチンをどうにかしたい!!
発想を得た題材によって形作る考え方を変えないといけないと思う。

例えば「○○のような」といった、具体的な題材があるときは、その題材のような形を目指す。

一方で、何かの拍子でポッと浮かんだフレーズなんかを形にしようとするならば、その言葉を手段とおきかえる。
そして、その手段を「目的化」して、その目的を達成するための手段を考える。
※なぜ手段化して目的化させるという回りくどいやり方をするかといえば、そのフレーズをいきなり目的としても意味がわからないから。意味のあるフレーズを思い付くこともないことはないが、それはすでに具体的なので上記にあてはまる。


・・・といった方法があると思う。
こういった考えを常に念頭において創作活動が出来ればいいのだが、考えている最中だとやはり主観的になってしまい、グダって泥沼に嵌まってしまう。
客観視できるようになりたい。
自分は偏食家らしい。
※創作活動に関する話題です。

主に自分が「描きたい」と思う事柄は新しいアイデアである。
つまり新ネタ。
これをひらめいて、手応えを感じる形を描けた時は、すごくうれしい!

ただ逆に既存のネタには創作意欲が沸きにくい。
再び意欲が沸いて来るとき、それは既存のネタに新たなアイデアがひらめいた時ぐらいだろう。

これが、この思考が一番厄介であることに気づいた。ネタが完成しないのである。
古いネタを置き去りにして、新しいネタに取り組んでいた。
しかもそれを次から次へと繰り返したおかげで、未完成ラフが山積し、人に見せられるものができない。

ではなぜ、既存のネタを形にしないのか?
ずばり、陳腐に見えるから。
時間が経って見直してみると、当初ひらめいて喜々として描いていたときより、明らかにつまらない。
ありきたりに感じてしまう。
そしてそれをありきたりと感じた時点で、新しいもの好きの嗜好からなる創作意欲は、ゴッツリと減退してしまうのだ。

現状、自分にとって
新ネタ>>完成させること
といった、いびつな価値観を持ってしまっている。
この価値観を真逆にすることは難しいが、この特性を創作活動に利用できないか絶賛検討中。
まずは数少ない、完成したネタの経緯を思い出していこうと思う。
※主に独り言

地震の影響はなかったがニュースやらで事態があまり好転していない状況にへこみ、創作意欲が減退中だったが、ここ最近ようやっと戻ってきた。

振り返ってみるに、自分にとって「絵を描く」という行為が、一番長続きしている。
自発的な活動、習い事諸々で。
そう考えてみると、絵を描くことが一番、自分にとって自己実現できる手段というか、自己表現に適していたのかもしれない。
が、幼稚園の頃位から絵に興味を持ち、今に至るまで描いてはいるものの、絵を描くにあたっての姿勢が未だに分からないというか、掴めない。
「一発で仕上げたる!」とか勢いづいて描き出すと、必ずと言っていいほど線が固くなったり発想が固くなる。
逆に特に意識せず楽な感じで描くと、思いの外うまくいくこともある。
この意識しない方法が、未だに掴めない。
無欲に徹すればいいのだろうが、どうやったらそんな気持ちで打ち込めるのだろう。
たぶん、慣れの問題がかなりの割合を占めるのだろうが…‥やっぱり慣れなのかなぁ…
ふとした瞬間になにか意識し出すと「絵を描く」という行為自体にエネルギーが必要になる。
だからエネルギーが足りないと、描こうと思わない。
一度描き始めると、勢いでそれなりに動けるが、初動にものすごく手間がかかる。
これのおかげで一時期、自分は「絵を描くこと」が好きじゃないんじゃないかと、自問自答していた。
絵を描くことは好きだが、しんどい。
本当に好きな人は「しんどい」なんて思わないのかもしれないが、自分はその人達ほど絵を描くことに慣れていないのだろう。
自発的な活動は欲求があってこそ、行動に移せるものだと思う。
しかし、絵を描くことに欲求を持ってくると、逆にエネルギーが必要になる。
そう考えるとむしろ、いままで楽しすぎてきたのか?
分からない。

そんなこんなで現在、絵を描くにあたって自分が実現したいスタンスは
「欲求があれども意識せず、楽な気持ちで絵を描ける」
こんな状態で打ち込めるようになるのはいつになる事やら…
底辺の自作集
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