コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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メカ以外の絵も描けるようになりたいと思う。
ふつうの人のキャラクターとか。
けれども、もう一方で「関心があまりないのに描ける必要があるのか?」と思う気持ちもある。
興味関心が0というわけではない。当然。
けれどもキャラクターデザインと関わりのある「服装(ファッション)」なんてまったく興味もないし、そもそも苦手意識が定着しちゃっているので、人のキャラを描くこと自体、自分の中でポジティブに捉えられない。※これは、生半可にメカに対する自分の自信のようなモノと比較されるからかもしれないけれども。
そんなこんなであまり積極的になれない現状を維持したまま、それでもなんとなく描けるようになりたいという願望は持ち続ける…
何なんだろうなぁ、これは
ふつうの人のキャラクターとか。
けれども、もう一方で「関心があまりないのに描ける必要があるのか?」と思う気持ちもある。
興味関心が0というわけではない。当然。
けれどもキャラクターデザインと関わりのある「服装(ファッション)」なんてまったく興味もないし、そもそも苦手意識が定着しちゃっているので、人のキャラを描くこと自体、自分の中でポジティブに捉えられない。※これは、生半可にメカに対する自分の自信のようなモノと比較されるからかもしれないけれども。
そんなこんなであまり積極的になれない現状を維持したまま、それでもなんとなく描けるようになりたいという願望は持ち続ける…
何なんだろうなぁ、これは
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最近ふと身近な出来事から気付いたことを書き記す。
自分は絵を描くのはあまり得意じゃないと思っている。メカしか描いてこなかったし、デッサンも碌にしていないから描写力も散々だ。
けれども自分が絵を描くのは「考えたメカを形にする」事が好きだからだ。多分、それに魅力を感じているんだろうと思う。実感は湧かないし、習慣化しているから今さらそんなに深く考えてはいないけれども。
ここから最近気づいたこと。
自分は進んで版権作品をモチーフに創作しない。それはなぜか?
前々から「モチーフを写すのが面倒くさいから」というのが最たる理由だと思っていたが、それだけではない気がして考えていた。そこで上記の考えに照らして考えてみると、なんとなく合点がいった。
版権作品とは、完成されたモノである。そこに自分で「何かを形にする」という隙間がない。
なのでその作品のキャラクターを「描く」しかない。だが絵を描くことに自分は魅力を感じない。=だからなかなか版権絵を描かない。
多分こんな感じなんだろう。なんてふぬけた主張…
※一応創作的な話題だと思う。
要は「いいなぁ」と思った作品を見てから自分なりの解釈をして反映させるのは、やっぱり時間が掛かるんじゃないかと思った。ふと某イラストコミュニケーションサービスサイトの絵を閲覧していて頭に浮かんだ。
トレースとは違うが、そのいいなぁと思った作品を見た直後に衝動的に組み立てても、なにかしら類似点が多く、パクリに近い状態に仕上がってしまうと思う。
やはり感覚的であれ、自分がその作品に惹かれた部分を自分なりにかみ砕いてかみ砕いて理解して、そしてものにするのがオリジナルといえるような独自の創作活動には重要なことではないかと思う。
勢いで描いても、自分の作風とは必ずしも親和性があるとは限らないから、端から見れば歪みというか「書き慣れていない」オーラが漂うときもあると思う。だからこそそういった違和感を潰すためにも「○○がいい」と少しは具体的に言えるぐらい自分の中で理解する必要があると思う。
なんだかんだでやっぱり、描いて描いてかみ砕いて砕いて飲み込んで、自分の作風に馴染ませることがベストなんじゃないかと思う。
もっと外から食い物を取ってくる必要があるなぁ…
描いた物全てとはいわないが、描いた絵はなんというか、似た雰囲気に固まってしまう。
これをどうにかしたい。手癖なのかもしれないが、このままじゃイカンと思う。
「この作風が自分の個性」とか勝手に開き直りたくない。下手なのが個性だ!?それは思考停止ならぬ向上停止だと思う。
そんなこんなで今日も何かを描く。
これをどうにかしたい。手癖なのかもしれないが、このままじゃイカンと思う。
「この作風が自分の個性」とか勝手に開き直りたくない。下手なのが個性だ!?それは思考停止ならぬ向上停止だと思う。
そんなこんなで今日も何かを描く。