コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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本当にふと思った戯言を記す。
日本語ってかなり親和性が高いなぁと思う。中国から漢字が伝わって、のちにひらがなを生み出し、カタカナも開発した。三つの言葉が「日本語」として、それぞれ目的に応じて使い分けられている。これに+英語なども組み合わせて使われている。しかも、その単語自体が英単語とカタカナで使い分けられている!
何が言いたいかと言えば、英語で表現される「こと・もの」一つ取っても、日本語ではそれがいくつかの言い方があったりして、多様性に富んでいることがあるということだ。
そのためか、日本のマンガとか活字の文学作品において、漢字で書いているのに対して、「ふりがな」がなぜか英語であったり、まったく違う言葉が当てられていたりすることがある!
たとえば、今日自分が読んだ内藤泰弘さんのマンガ「血界戦線」←これもよく考えると漢字が違う造語だったりする…に登場する「クラウス・V・ラインヘルツ」というキャラクターの武術「ブレングリード血闘術」において
11式 旋回式連突(ヴィルベル・シュトウルム)とか
111式 十字型殲滅槍(クロイツ・ヴェルニクト・ランツェ)とか
技名がカタカナドイツ語でルビを振っています。
そしてそういったことが日本では日常的に容認されているのです。
最終的に何が言いたいのかというと、世界にいろいろな言語あれども、日本(語)程、厨二的な要素が溢れる環境は他にないんじゃないかなぁ、と言うことです。
日本語ってかなり親和性が高いなぁと思う。中国から漢字が伝わって、のちにひらがなを生み出し、カタカナも開発した。三つの言葉が「日本語」として、それぞれ目的に応じて使い分けられている。これに+英語なども組み合わせて使われている。しかも、その単語自体が英単語とカタカナで使い分けられている!
何が言いたいかと言えば、英語で表現される「こと・もの」一つ取っても、日本語ではそれがいくつかの言い方があったりして、多様性に富んでいることがあるということだ。
そのためか、日本のマンガとか活字の文学作品において、漢字で書いているのに対して、「ふりがな」がなぜか英語であったり、まったく違う言葉が当てられていたりすることがある!
たとえば、今日自分が読んだ内藤泰弘さんのマンガ「血界戦線」←これもよく考えると漢字が違う造語だったりする…に登場する「クラウス・V・ラインヘルツ」というキャラクターの武術「ブレングリード血闘術」において
11式 旋回式連突(ヴィルベル・シュトウルム)とか
111式 十字型殲滅槍(クロイツ・ヴェルニクト・ランツェ)とか
技名がカタカナドイツ語でルビを振っています。
そしてそういったことが日本では日常的に容認されているのです。
最終的に何が言いたいのかというと、世界にいろいろな言語あれども、日本(語)程、厨二的な要素が溢れる環境は他にないんじゃないかなぁ、と言うことです。
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今年も残りわずかとなりました。
惰性でこのブログを書き始めて来年の三月で丸二年になります。あっという間です。大した情報を積んでいない駄文をだらだらだらだらとつづっているわけですが、よく続いているなぁと自分でも思ったりもしています。惰性でなく、もう少しアクティブに駄文を発信したいなぁと思います。
こんなチラシの裏の小言を見ていただいてありがとうございます。来年ものぞいていただく機会があるのなら、そのときはまたよろしくお願いします。
今ものすごくよろしくない。とくに精神的に。
書く文章に何かしらの「毒」というか不快感をもたらす何かを含んだ文しか書けない。
だからあまり文を書けない。くそったれ
やる気はどうやって引き出せるのだろうか。
最近、やる気をもって「こうするぞっ!」と意欲的に活動することが少なくなってきた。何というか「なぁなぁ」で行動している感じ。行動にメリハリがない。
けれども、なぁなぁで動いている内に意欲的になることもある。創作においてはぼちぼちそんな体験をしたことがある。ただ、それは偶然に起こりうることであって、いつもそうなるわけもなく…
自分でやる気をコントロールできたらなぁ…
コントロールできないにしろ、自発的に動けるくらいの気持ちに持って行けるコツを知りたいと思う今日この頃。