コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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燃費が極めて悪い!!
絵を描くにしても、何にしても。
気合い入れないと動けないと勘違いしているのかもしれない。
そしてそう思いこんでいる自分のアタマは硬い!
そしてそして、そう思いこんでいる自分の固定観念が一番やっかい。
この固定観念をぬぐうように意識して行動しないとなぁ…
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哲学的な話になるが、以前は「もの」がある理由は「存在するから認識する」という、至極当たり前dあるから存在するじゃん、という考え方だったらしい。
ところが、カントさんか誰かが「認識するから存在する」という、あると分かるから存在する、という発想の転換で哲学が発展していったらしい。(ネットでちらっとかじった程度の付け焼き刃の知識)
そんなことを知って、何かこの発想を利用して創作の手法に組み込めないか考え中。
たとえば「手があるから○○する」という考え方で形にするのではなく「○○するから手がある」という、理由があるから存在する、みたいな考え方で形にしてみたらおもしろそうだなぁと思う。
何となく惰性というか固定観念で形を決めてしまっているきらいがあるので、これの改善を試みたい。
そう考えると、一番の障害は「自分の認識」なのかもしれない。
ところが、カントさんか誰かが「認識するから存在する」という、あると分かるから存在する、という発想の転換で哲学が発展していったらしい。(ネットでちらっとかじった程度の付け焼き刃の知識)
そんなことを知って、何かこの発想を利用して創作の手法に組み込めないか考え中。
たとえば「手があるから○○する」という考え方で形にするのではなく「○○するから手がある」という、理由があるから存在する、みたいな考え方で形にしてみたらおもしろそうだなぁと思う。
何となく惰性というか固定観念で形を決めてしまっているきらいがあるので、これの改善を試みたい。
そう考えると、一番の障害は「自分の認識」なのかもしれない。
「○○メカの発展形」というと、なにかしら前のメカの形を継承していないといけないんじゃないかと思うわけで。
時間的にかなり間隔が空いているのであれば、一気に形を変えることもやぶさかではないと思うが、短期間でバンバン形が変わっていくというのはリアリティに乏しいと思う。
そんなわけで、大幅な発展とまでは行かなくとも、なにかしら発展して別の形にするという「後継機」のデザインをすることって、非常に難しいなぁと思う今日この頃。
性能の進歩を形にすることに正解・不正解もないが、感覚的な意味でジャストミートするさじ加減が非常に難しい。
時間的にかなり間隔が空いているのであれば、一気に形を変えることもやぶさかではないと思うが、短期間でバンバン形が変わっていくというのはリアリティに乏しいと思う。
そんなわけで、大幅な発展とまでは行かなくとも、なにかしら発展して別の形にするという「後継機」のデザインをすることって、非常に難しいなぁと思う今日この頃。
性能の進歩を形にすることに正解・不正解もないが、感覚的な意味でジャストミートするさじ加減が非常に難しい。
本当に何も浮かばない状態の「何も考えない」状態に見事にハマってしまって、どうにももどかしい。
描いたラクガキはまるでガチガチのダメダメ状態。むしろ描かない方がいいのか?
今は本当に何も考えられない「何も考えない」状態であるが、何か新しい、自分にとっても視覚外の絵を描くことができるのも「何も考えない」状態だと思う。
強いていえば、手がノリで勝手に描いて、見て自分がバランスを受動的に調整するというか、描くことが先で考えるのが後の状態というか…体感しかしたことないので表現が難しいがそんな感じ。
そういった状態になると、新しいアイデアが降ってきやすい気がする。無意識のイメージを形にしやすいというか何というか。
そんなことを考えると、感性に関わる事柄は「考える」という意識だけに執着するのは良くないのかもしれないと思う。感覚的・無意識的な要素も加味して「なんとなくイメージ」が形成されるのかもしれない。
難しいなぁ…
新しいアイデアを発掘するコツを掴みたいが、上記の「何も考えない」状態は、どちらかというと感覚的で非常にあやふやな、安定しない部分が多すぎるので会得するのはかなり困難な気がする。
描いたラクガキはまるでガチガチのダメダメ状態。むしろ描かない方がいいのか?
今は本当に何も考えられない「何も考えない」状態であるが、何か新しい、自分にとっても視覚外の絵を描くことができるのも「何も考えない」状態だと思う。
強いていえば、手がノリで勝手に描いて、見て自分がバランスを受動的に調整するというか、描くことが先で考えるのが後の状態というか…体感しかしたことないので表現が難しいがそんな感じ。
そういった状態になると、新しいアイデアが降ってきやすい気がする。無意識のイメージを形にしやすいというか何というか。
そんなことを考えると、感性に関わる事柄は「考える」という意識だけに執着するのは良くないのかもしれないと思う。感覚的・無意識的な要素も加味して「なんとなくイメージ」が形成されるのかもしれない。
難しいなぁ…
新しいアイデアを発掘するコツを掴みたいが、上記の「何も考えない」状態は、どちらかというと感覚的で非常にあやふやな、安定しない部分が多すぎるので会得するのはかなり困難な気がする。
現段階の自分の理想型を箇条書き。
・情報が多く含まれていながら雑然としていない。
・情報量が多いくせに描きやすい形。
・そして情報の少ない空白部分とのメリハリがきいている。
・形状自体はシルエットでみると単純な形。
・構造的な矛盾が少ない。
・そのくせ関節部分は露出せずきちんと保護される。
・プロポーションの傾向にかかわらず「かっこいい」かたち。
・パクリではない
…などなど、挙げると正直きりがないが、何となく羅列してみた。記事の埋め合わせといわれても否定はできない。
昔は自分の嗜好というか、自分の描く絵には自分自身否定的であったが、何かここ最近は考え方を変えたいという気持ちが強くなった。
「個性」だとか「画風」だとかで、自分の絵を自分で定義することを極端に嫌っていたので、自分の描く絵に否定的になっていたが、何というか「観念する」とは違うが「定義すること」と、そうであると「認識すること」は違うのかもなぁと最近思うようになった。
実際、今現在も「MoreBetter」をめざしてらくがきを続けているが、現段階で自分がどう思っていようと、描けないものは描けないし、なんだかんだで自分にとって好みの絵を描いてしまう。この、絵に関する方向性ないし好みは、良くも悪くも自分の「特徴」であり「個性」になっている。(個性という言葉は今もスカン)
だからといって、この今の個性に縛られる必要は微塵もなく、これからどうするかは勝手なわけで。
「自分は○○に強い」といった自身に対するある種の思いこみ・自信は描く原動力としても、絵の方向性を決める要因としても十分だと思う。
だが、自分自身、絵を描くという創作活動にこれといった自信は限りなく希薄で、ただ「人並みに描ける分野がある」くらいしか認識していない。というかできない。
だからこそ、個性という言葉に惑わされず、自分の意志で方向性を決めていきたいなぁと思った次第。
それを踏まえた上で、自分の嗜好ないし描きたい方向性をしっかり認識して、把握していきたい。
平たくいうと「『こうである』と勝手に思いこみで決めつけずに現状をきちんと把握した上で、自分の選択に自信を持って描いていきたい」ということ。
おわり。
・情報が多く含まれていながら雑然としていない。
・情報量が多いくせに描きやすい形。
・そして情報の少ない空白部分とのメリハリがきいている。
・形状自体はシルエットでみると単純な形。
・構造的な矛盾が少ない。
・そのくせ関節部分は露出せずきちんと保護される。
・プロポーションの傾向にかかわらず「かっこいい」かたち。
・パクリではない
…などなど、挙げると正直きりがないが、何となく羅列してみた。
昔は自分の嗜好というか、自分の描く絵には自分自身否定的であったが、何かここ最近は考え方を変えたいという気持ちが強くなった。
「個性」だとか「画風」だとかで、自分の絵を自分で定義することを極端に嫌っていたので、自分の描く絵に否定的になっていたが、何というか「観念する」とは違うが「定義すること」と、そうであると「認識すること」は違うのかもなぁと最近思うようになった。
実際、今現在も「MoreBetter」をめざしてらくがきを続けているが、現段階で自分がどう思っていようと、描けないものは描けないし、なんだかんだで自分にとって好みの絵を描いてしまう。この、絵に関する方向性ないし好みは、良くも悪くも自分の「特徴」であり「個性」になっている。(個性という言葉は今もスカン)
だからといって、この今の個性に縛られる必要は微塵もなく、これからどうするかは勝手なわけで。
「自分は○○に強い」といった自身に対するある種の思いこみ・自信は描く原動力としても、絵の方向性を決める要因としても十分だと思う。
だが、自分自身、絵を描くという創作活動にこれといった自信は限りなく希薄で、ただ「人並みに描ける分野がある」くらいしか認識していない。というかできない。
だからこそ、個性という言葉に惑わされず、自分の意志で方向性を決めていきたいなぁと思った次第。
それを踏まえた上で、自分の嗜好ないし描きたい方向性をしっかり認識して、把握していきたい。
平たくいうと「『こうである』と勝手に思いこみで決めつけずに現状をきちんと把握した上で、自分の選択に自信を持って描いていきたい」ということ。
おわり。