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コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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※現在考え中のロボ。一応モチーフは前回の日記と同じ。


最近考え中のこと。

なんというか、ロボにロマンばかり詰め込むのは宙に浮きすぎている気がする。
「カッコイイだろう」だけじゃ現実味が乏しい。
架空なら架空なりのリアリティというか、道理に即するべきだと思う。

ただ、それだけだったら確実につまらない。
やはりロマンも詰め込みたい。
ただ、それをどこまで許容するのか。
その塩梅が未だに分からない。

かなり屁理屈めいたこじつけで「実用性」を説くのは、やっぱり制作者自身の言い訳なんだろうなぁと思う。
わがままとも言えるかもしれない。
そして、一旦それを組み込んだはいいものの、それは存在感が希薄になりやすいと思う。
実際、実用性がないのだから。
飾りになってしまう。
それこそ、きちんと実用する術を考えて組み込んだら、それが個性となって存在感が増すんだと思う。
その存在感を生み出すのも設定…
飾りになるのか存在感を増させるのか、それは制作者の発想力にかかっているのかもしれない。

↑の絵は差別化の名目で意識的に形を変えようとしているが、これは「アリ」なのだろうか?
正直、差別化を図ったところでそれが差別化しただけの機能するかは自分自身分からない。
これこそ、屁理屈ないし、言い訳なんだろうなぁと思う。
ただ「こういう形にしたい!」という願望はあるので、この考えはそう易々とは捨てきれない。


やっぱり、むずかしいなぁ…
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最近思ったことを記す。

自分が好きなロボットのカテゴリーは、どっちかというと「ユニーク」な形だと思っている。

だが、そのユニークでなにか一つに特化した、汎用性の乏しいロボットがたくさんいても・・・となる。

なんだかんだで総合力とやらが必要。それは何でも出来るということ。そつなくこなすということ。

そう言った意味で、自分が「凝った」ロボは、総合力に欠けたものが多い。
(あと、兵器という観点から見ると、明らかにハイコストでそれに見合ったパフォーマンスをする状況がかなり限定されていると思う)

なので、ガンダムでいうジムのようなロボットが、自分のメカ創作において欠乏している気がする。
ただ、これできちっと規格化しすぎてしまうと、これまた「スペシャル」な雰囲気になってしまう。もっとざっくばらんでそれなりに安そうで、あまり強くなさそうなロボが描けるようになりたいと思う。

※上の文章で、かなり「○○そう」という言葉を用いたが、実際これはかなり重要だと思う。パッと見で「コイツ弱そう」とかそう言った先入観を持たせることは、見た目が一種のパラメータになるから。理論とかじゃなく「納得させる」デザインというのは難しいと思う。
データの洗い出し+新しい手法の探索のため、現状自分がどうやってオリロボを形にしているか書き出してみる。

・発想の原点

モチーフ



形容詞


…あら、こんなもんだった。

モチーフは言わずもがな、何か題材を決めて形を整えていく。これが多分一番軸がぶれにくいと思う。既存のものをデザインの基軸としているから。
かといって、モチーフをあてにしすぎると「メカじゃなくてもよくね?」状態になるし、人に関わる物(鎧とか武器とか)をモチーフとした場合、参考にしすぎると時代感まで取り込んでしまい、古くさかったり、違和感が生じてしまうこともあるので、程々の参考にするべきだと思う。

色は、これもまんま。色から発想を得る。後はそのときの発想次第。

形容詞とは「つるつる」とか「ゴテゴテ」といった、形容詞に当てはまる形を模索していって形にすること。
デザインっちゃあデザインだが、機能性とかを考えていかないと存在が希薄になってしまう。「カッコイイだろう」だけではいけない。

これに関連して、ネーミングから得る発想もあると思う。ふと降ってきたワードを、どうにか形にしよう!と曖昧な解釈の物を形にする努力をしたりもする。


こんなモンかなぁ。モチーフが一番知識の量や嗜好で差が出るだろうし、感性というのは人それぞれ。
「まったく新しい形」なんて物は形に出来ないと思う。その発想自体、自分でも思いつかないから。結局自分が認識できる範囲の物しか描くことはできないんだよなぁ…
難しい


※5日補足

あと一つあった。
これが発想の発端として一番多いかもしれないけれども、一番不安定な考え方。

ずばり
「降ってきたネタを瞬間チャージでざっくばらんにラフにする」
そしてそれをもとに組み立てる。
それなりに案は出るが、カスネタもたくさん発生する。

これはぼんやりした状態で描くといい気がする。無意識の中で自分が描きたい形を勝手に描くから。
けれどもこれが一番、ぶれやすい。滅茶苦茶ぶれる。方向性が定まった状態で始めないと、本当にグルグルグルグルと、思考の泥沼化を引き起こすので、要領よく、決断する決定力が必要だと思う。


…新しい考え方を求めるよりも、より広い視野を求めた方が絵の幅が広がって効率的なのかもしれない。
考え方とか、個人の哲学とか精神論とかが加味されやすいから。

創作ってやっぱり難しい。自分のやっていることが創作といえるかどうか分からないけれども…
現状絶賛イジリ中かつ、煮詰まり中のロボ。「ブシッド」(仮)


これが最近のマイブーム、5年前とまんま同じネタでしたロボである。
↑の絵の不満を挙げてもキリがないので割愛。本当にぼろぼろ出る。己が構成力の無さに泣ける。

いまさら、何日かぶりにいちばん最初に描いたラフと見比べてみた。


…全然違う。
大まかな概要は残しつついじっていたと思いきや、変質しすぎていて、今描いているものが果たして描きたい形なのか分からなくなってしまった。
たぶん原因は、↑の絵をいじっている最中に、自分自身の中で「描きたい形」の解釈が徐々に変わっていってしまったからなんだろうなぁと思う。

いじっている最中は、当然、よりよい形を目指していじる。
それはそのとき自分の中で「よりよい」と思う形にイジるということであり、アイデアが湧いた当初の自分が思う「よりよい」とは必ずしも同じとは限らない。むしろ解釈が異なっている場合が多いと思う。

んでもって、問題はどちらの解釈で組み立てるべきか。見比べてはじめとだいぶ違うことに気づいたが、これからの方向性は原点回帰か、現状の解釈からの発展か。

今回は明らかに現状いじっている形の方が詰めて考えているので、そのままいじっていこうと思う。が、この選択が正しいかどうかは分からない。結局はできあがった形の出来次第でどうとでも言える。今は結果に至る過程でしかない。だが、今も過去の過程から至った結果とも言える。だから、現状でもできあがりの「結果」が分からないといって、適当にするわけもいかない。現状で「more better」と思う選択を選んで進めていくしかない。

まったくもって、自分の感性は当てにならない。状況によって、同じ絵でも解釈が異なってしまう。なにより創作自体が不確定要素が多すぎる気がする。まったくもって不安定。
けれども、やっぱり絵を描くんだろうなぁ…
久しぶりに「メカ論」を書くと思う。それにそぐう内容かどうかは分からないけれど。

昨日の日記にも書いた、5年前のネタ再構築ロボの、方向性で今すごく頭を悩ませている。詳しくいえば、形状の詰め込み加減についてあーでもない、こーでもないと思考が右往左往している。

形状を簡略化させれば、シンプルな形状になる。単調かもしれないが、形状そのものの力はものすごい。造形がシンボル化するので、普遍性が高まり、時代臭があまり感じなくなる。
だが、簡略化させすぎると、他の部位との組み合わせに違和感が生じることもある。要は「浮いて」しまうのだ。
これに引っ張られてしまうと、他の部位も簡略化せざるを得なくなり、表現の幅を狭めてしまう。

分かっちゃいるけど、描けねぇ~!!

そもそも、最近の自分の傾向として、「描きたいものを描く」ではなく「描けるものを描く」という全くもってナンセンスな創作になっている気がしてしょうがない。無意識のうちに描けるもの=簡略な形になってしまうことが多い。

だから、最近手癖でスパッと描けるものもあまり信用できなくなってきた。かといって、頭だけでの造形は、必ずボロが出る。

なんというか、どうすればいいのやら…
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