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コツコツと人型メカのラクガキをする人間の独り言。本当に独り言。絵は極めて少ない。
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 ※今日はなんか書きたいことが多いなぁ…

 自信作のオリロボを他人に見せても、あまり反応が返ってこないことがよくあります。その点について自分なりに考えてみました。

 まず「どこがすごいのか」が他人には分からない。根本的ですが、これはかなりの要素を占めていると思います。情報がメカのシルエットだけなので、当然といえば当然でしょう。

 しかし!ココに大きな落とし穴というか制作者自身の『思いこみ』があります。

 制作者はそのメカに対していろいろな、形状以外のものを組み込む場合があります。たとえば可動ギミックとか、脳内補完された裏設定などがあると思います。

 この脳内補完された情報とやらが非常にやっかいです。可動ギミックなどは表面的に見て何か察知できる可能性もありますが、脳内補完された、いわゆる裏設定とやらの情報はまったく知る余地もありません。

 この制作者以外誰も知り得ぬ、脳内補完の情報を加味して制作者はそのオリメカの完成度云々はともかく、主観的に見て自信作!として出してしまいます。

 メカの完成度が高ければ、当然ビュー数も増えるでしょう。ですが、見せて反応が残念な結果になってしまうこともあります。

 これはまさに、見せるべき情報を出さなかった当然の結果。

 客観的に見て「絵」はあまり良くなかったと言うことです。(ピクシヴなどにおいては、小さいサムネイルの表示が魅力的でないこともあるかもしれませんが…)

 つまり、脳内補完によって、制作者自身がうぬぼれていたということです。

 ならばどうすればいいか?

 自分は「どこがすごいか」を他の人に見せる。これが一番重要だと思っています。自分の脳内情報は自分しか知りませんし分かりません。

 結局、他の人に見せる事を意識しないと、発想がどんなに優れていても表に出てこれないと思います。

 なので情報は脳内で補完するのではなく、現実世界の媒体で保管するべきだと思います。←うまいことをいった!言えたぞ!

 ※なお、上の「制作者」は自分自身をモデルとして取り上げていますorz
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 久々に考えを書こうと思う。

 アイデアが浮かんだときに描く絵はものすごく楽しい!まるでプラモをつくるかの如く、アイデアを練り上げて理想に近づける瞬間はにやにやする。←きもいですね、はい

 ただ私自身が気にかけていることは「アイデア一辺倒」という傾倒はどうなのかと言うことだ。

 ただただ自分の好きなものであったり、得意な要素のみで構成するのはマンネリというか、ワンパターンになってしまうのではないかと思うのだ。


 ・・・もちろん、メカしか描いていない自分が言える言葉ではないです、はい。


 ただ、制約や必然性があってこそ、人間工夫したりするものだと思っています。怠惰な人間の発想ですね!



 え~~~~と、話がかなりそれてしまいましたが、私一個人がメカデザインに対する考え方として

 メカがごちゃごちゃしすぎ=情報がまとまっていない→なら情報をまとめるなり減らそう!

という事を言いたいだけです。

 複雑にした方がもちろんかっこいいし、強そうにも見える。だけんども、細かいところをごちゃごちゃにするより、既存のメカのシルエットから逸脱して、自分なりに「強そう」とか「かっこいい」を文字通り体現できるメカを考えた方が、自分らしいメカをかけそうな気がするのです。

 これもまた、人型ロボで縛られている自分が言える台詞ではないです、はい。

 ※もっと詳しく書きたいですが、文章がとりあえず丸く収まりそうなので、またの機会に書きたいと思います。
 オリジナルのつらい、またはしんどいと自分が思う点は…


自身で全て判断

 これは一見、便利だと思うが、ところがどっこい!
「自分自身」という基準は簡単に変容しうるもので、この上なく面倒なものなのだ。

 たとえば、深夜ノリに乗って勢いで描いたアイデアが、朝起きてふと見ると、そのアイデア自体が微妙に感じてしまうことなど多々あるのだ。(これが一概に悪いと言いたいわけではない)

 自分の場合は、そのときそのときで自分自身の判断が変わるから、いつまでたっても完成の見通しが立たないことがよくあります。(これは個々人の決断力の問題なのかもしれないけれど)

 だから、他の人に見てもらったり、強制力のある「締め切り」などは(どんなジャンルにかかわらず)創作活動において必要不可欠な物だと思うわけです。

 ただ、オリジナルとは「個人の自由」で創作活動を行っているわけですから、当然「締め切り」など強制力を持った力はありません。創作者本人が「締め切り」などを自覚して決めなければならない事なのです。この締め切りを守ることさえ、本人の心がけ次第なんですが…

 自分は妥協できずにドツボにはまって沈没するタイプなので「締め切り」を決めることが非常に難しいです。現実の商業的な観点からいくとこれはまったく持ってナンセンスなんだろうなぁ…orz

 とにかく自分自身の中で手応えがない。
 すると人前に出すに値する物ができたという自信もない。
 だからいつまでたっても先延ばしでひたすらアイデアをこね続ける。
 そして完成しないorz

この質の悪い性質を改善したいんだけれども、どうすればいいモノやら。
無駄に真面目で、未熟なくせに「完璧主義」に走っている自覚はあるのだけれども・・・・・・・ほんと・・・・どうすりゃいいのかなぁ・・・・・・・・
 自分の中で「ダサかっこいい」とは「見た目はダサいが、何かしらかっこいいと思わせるなにかを持っていること」と仮定している。ではその「なにか」とは何か?

 「ダサかっこいい」というだけあって、見た目がかっこ悪い、またはダサい事は最低条件であろう。だが、それ以上にかっこいいと思わせるなにかがあるはずだ。

以下箇条書き


ケース1:見た目と裏腹にかっこいいと感じさせる「なにか」が内在している

(人物の場合)見た目から想像できないような信念や本心をうかがい知る機会があると見た目がダサい、けれどもかっこいいなぁと思わせることができるのではないか。

例:カンタムロボ など

 ※この場合は信念などが表に出ることによって「カッコイイ修正」がなされるが、見た目は客観的に見てダサいまんま。

 =かっこいいと感じさせる「なにか」が表に出ないとダサいまんま、ということになる。


ケース2:見た目にダサい以外にかっこいいと思わせる「なにか」が付属している

 (メカの場合)一見ダサいと思いきや、意外とかっこいいと思わせるシルエットであったりするとき。特に、見た目はダサいが、かすかに実益のありそうなオーラを漂わせた形を持つ場合「ダサかっこいい」と感じるのではないか。

 例:ヴァルガード(スパロボW) キャプテンレインボーなど

 ※この場合「キャラクターのみ」の場合は実益云々は関係ないが、ストーリー上のキャラクター(役)を持つ場合は、見た目通りというか、実力があることを証明しないと見る人のマイナス修正によって「ダサい」に転落してしまう。



 独断と偏見による総括

 ケース1は物語の劇中の行動による「かっこよさ」修正、ケース2は見てくれからかすかに「できるオーラ」を放出し、かつ実力を発揮することによる「かっこよさ」修正によって「ダサい」だけではない「ダサかっこいい」キャラクターを形成しているのではないだろうか。




って結局は活躍しないとダサいだけってことか?
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